1日目の午後のプログラムは、最初にパネルトーク『女性たちが語り合う核ゴミ問題と北海道の未来』が行われました。パネリストとして、宍戸慈さん(北海道子育て世代会議共同代表)、三木信香さん(子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会共同代表)、田村陽子さん(蘭越町町議会議員、農業)の三人が登壇されました。三人とも、それぞれ島牧村、寿都町、蘭越町を拠点として、様々な活動に取り組み、積極的に発信されている方々です。ファシリテート&コメンテーターとして、核ゴミ問題を考える北海道会議のメンバーである東田秀美さん・本田優子さんも登壇しました。参加者は寿都町内だけでなく、道内各地、遠くは旭川市、札幌市、室蘭市、八雲町などからも来られていました。
寿都町の三木さんは札幌市生まれですが、結婚して寿都町に住まれるようになりました。昨年の8月に文献調査への応募問題が沸き起こってから、仲間たちとともに町民の会を立ち上げ、署名活動を始めました。核ゴミ問題が起きてから住民どうしの溝が深まっていく中で、よそ者として見られる自分の立ち位置を改めて考えさせられたそうです。「反対派の自分と話していると迷惑をかけることになるかもしれない」「周囲から寿都の人じゃないと思われているのではないか」そんな否定的な考えがめぐり、友人をなくしたこともあったそうです。それでも、この活動を通して新たな人との出会いもあり、ありがたいと前向きに考えているそうです。核ゴミ問題については、「大人が勝手に決めていいことではないので、次の世代を担う子どもの意見や気持ちも大事にしたい」と強調していました。
田村さんは大阪府出身なのですが、ニセコのスキー場で働いている時に蘭越町のコメ農家の男性と結婚し、農業に従事するようになったそうです。2年前に町議選に出馬して初当選しました。寿都町の問題が明らかになってからは、「核のゴミはいらない町民の会」が町議会に署名とともに提出した「蘭越町に放射性廃棄物等を持ち込ませない条例」の制定に向けて動いています。田村さんは蘭越町に移り住んでから、地方ならではの保守性を感じてきたそうです。町議会で核抜き条例制定の請願はしたものの、条例の制定については不採択となり、新たな特別委員会を設けて非公開で審議することになったことに、「町民の活動から始まった案件を非公開にすべきではない」と力を込めていました。核ゴミ問題のゆくえには、農業者として自然に感謝しながらの生活を脅かす事態にもつながるとして、「子どもたちに見せるためにも毅然とした態度で臨みたい」と決意を述べていました。
宍戸さんは福島県出身で、2011年の福島第一原発の事故をきっかけに北海道に移住し、結婚後、子どもが生まれてから自然豊かな島牧村に転居し、札幌での仕事も続けています。寿都町の核ゴミ問題については、「自分たちの世代が動かなければ何も変わらない」と、近隣の仲間たちと一緒に「北海道子育て世代会議」を立ち上げ、片岡町長に公開質問状を提出するなどの活動をしています。宍戸さんは「田舎であればあるほど地域での関係が深く、個のくくりがあいまい」だとして、今後については、「多様性の度合いを増やし、あえてカオスを作るようなところから新しい答えを出していきたい」「核の問題の結果が出るのはずっと先で、私たちの世代では分からないが、その過程を良い方向にするために楽しく活動したい」と話していました。
最後にコメンテーターの本田優子さん(札幌大学教授)から、核ゴミ問題を考える時、私たち北海道民全体で考えなければならないと同時に、この大地に昔から住んでいたアイヌの方々の人と自然との関係を大事にする視点や考え方も取り入れながら、一緒に考えていくということが必要ではないかという発言がありました。核ゴミ問題を考えるパネルトークに、パネリストを含め登壇していたのが全て女性であるというのもユニークでしたが、とても内容があり、また刺激的なパネルトークだったと思います。
(このまとめに「北方ジャーナル9月号の記事「いま、本音を言い合える場を」」を参考にさせて頂きました)